鯖街道を走り終えて。。。

polepole_tea2010-05-17

大冒険を終えたヒトチは今朝目覚めた時に、昨日のことは夢だったのではないかとふと感じた。
そして、起きようとした瞬間に体中が筋肉痛であることを認識し「あ、昨日のことは夢ではなかったのだ」とあらためて気が付き、いつもより多めの朝食を頂き、出張先である琵琶湖を眺めながら、走馬灯のように昨日の出来事を振り返った。

4時20分に起床する。実はあまり眠れなかった。明日のウルトラのことを考えたり、慣れない民宿の枕やとなりのいびきなどできっちりと熟睡できないまま、朝を迎え、昨夜に買っておいたのり弁当をかきこむ。とにかく食べないと、腹が減っていなくても食べないと。

5時45分にスタートラインである鯖街道の起点、いづみ町商店街に到着。ウルトラランナー達が続々と集まり、360人程度でのスタートとなる、フルマラソンなどの大会ではピリピリしたムードで我先に前にいくランナーたちがいるが、ウルトラはだれも前にいかない。非常にリラックスした緊張感のないスタート。そりゃそうさ、さきは長いわけで、ゆっくりと進めばいいさ。

6時00分いよいよ待ちに待ったスタートがやってきた。スタートとともにみんなが一斉に走りだす。まずは鯖街道の大きな壁画が描かれた10キロ地点が目標だ。ともに参戦したみやちゃんとショウエイさんと3人でべらべらしゃべりながら進む。他のランナーのペースもそこそこ速く、一キロあたり6分40秒ぐらいだろうか。そんなに急いでどこにいくの、僕たちが10キロ地点に到着したのは70分後、ちょうど1キロ7分のペースだ。

7時10分に鯖街道壁画を出発、なにげないのどかな国道を進んでいるようであるが、徐々に山越えに向かっていることに気がつく。あれほど遠かった山が次第に近づいてき、14キロ地点でいよいよ根来峠への登山口に到着する。

ここから山道になるので登りはひたすら歩く、歩いて前に進む。ウルトラマラソンというとずっと走っているように思われるかもしれませんが、実は歩いたり走ったりの連続です。歩くべきところは歩き、無理せず完走を目指します。もちろん歩くといっても山道を登るわけですから、心拍数は走るよりも当然上昇します。ひたすら練習してきた自分なりの登山フォームでようやく19キロ地点である根来峠875m級に到着、前半の山場である根来を制覇し、山を下り、尾根を走り、中間地点の川井を目指す。

このあたりからランナーたちがばらけはじめ、うしろにも前にもランナーが見えないという状況となる。根来で遭難防止のために伝えられる人数確認の番号は182番であったので、ちょうど真ん中ぐらいの位置。真ん中ぐらいだからこそ一番間延びするポジションを走ってしまっている。10キロほどひたすらアスファルトを走るが、ひとりはさみしい。だれかについていきたい。時折訪れる孤独感で本当に自分はちゃんとコースを走っているのだろうかという無用の心配をしてしまう。エイドを見つけたり、すれ違う自転車から声援をもらうと、安心感が僕を包み込む。


いよいよBコースのランナーと合流する梅の木地点34キロ地点に到着。Bコースのランナーすでにスタートし、スイーパーたちが待ち構えている。Bコース(半鯖)とは当日出発で42キロの道のりを目指すピンクのゼッケンのランナー、こちらは240名ほどの参加で、スイーパーとは制限時間ぎりぎりのペースで最後尾を走り、各ランナーが道に迷ったり、倒れたりしていないかを確認しながら、大会をサポートするスタッフランナーさんです。

ここでビックサプライズの登場。単独走行でさびしかった私を見て、ひたすらはしゃぐ二人の登山者を発見。よくみたら、七輪の会に所属するトライアスリートのカツオくんと昨年12月の東山三十六峰マウンテンマラソンを一緒に走ったトレイル専門家のHくんの姿をではないか。今回のコースでもっとも交通の便が悪いところまで大阪の遠いところからよく応援しに来てくれたもんだ。ふたりともアスリートだから僕と並走しながら「ここでなにしてるんですか?」といった冗談を飛ばしあう。それはこっちが聞きたいわ!でも京都バスでこんな山奥まで、しかもいつこのポイントを通過するのかなんて全然わからないはずなのに、ほんまにうれしくてありがたい話です。いまからふたりで武奈ヶ岳に登るらしい。おいおい、それええやん、おれも誘ってやみたいな冗談飛ばしながら、ふたりと別れ、次はこのレースの中間地点を目指す。

10時30分このコースの中間地点である川井に到着。少し前のエイドである山本酒店で頭から冷たい水をかけてもらってだいぶん意識がはっきりして、リフレッシュできた。ふとみると店内でビールを飲む猛者たちを発見。思わずポケットの小銭に手が伸びるが、いかんいかん、ビールは完走してからと自分に突っ込みをいれる。

さて次は中間の山場であるオグロ峠870m級にアタック、このあたり八丁平は毎年道に迷う人がいるため、初挑戦である僕は必死にランナーの塊に追いつこうと多少無理してでも前に進む。もともと登りは得意な方なので、必死に登るが振り返ればここの登りが一番きつかった。登りが終わったところで湧水を飲み、下りを慎重に走り、次のエイドで冷やし飴を飲む。うめーぜ、山で飲む冷やし飴は。

44キロ地点のオグロ峠を越えると、いよいよ杉峠から花背峠に向かう。この花背に向かう道のりはなだらかな岩場を延々と登り、とにかく足の置き場がなくって神経をすり減らす。たくさん山登りをしてきて、足場が悪い時は岩や根や水たまりで足を滑らしたりねん挫しないように慎重に慎重に足の踏み場を選ぶため、たくさんの集中力を使ってしまう。時折立ち止まり、鶯の声を聞き、心を落ち着かせ、集中力がきれないように前に進む。

56キロ地点杉峠350m級を越え、いよいよ花背峠に出た。ここからはよく通った花背の道をひたすら下る。急な下り坂を走る時、これはこれで身体への負担が大きく、とにかく腹筋が痛い。ここで足を使い切ってしまわず、当然残り20キロの道のりを考えた走りをしないといけない。このあたりで見た目も走り方も屈強なウルトラランナーたちのペースがみるみる落ちていく。やっぱりきついのはみんな一緒なんだ、自分だけじゃないんだ、ふと孤独感がどこかへ飛んでいく。

14時30分、走り始めて6時間30分が経過し、ようやく鞍馬寺に到着した。このあたりになると民家やお店が立ち並び、京都に帰ってきたなぁと時間する。ここまでの63キロを走り終えた私に飛び込んできたのがふたつめのサプライズである七輪の会のメンバーたっくんとその彼女さんが鞍馬の歴史ある街並みまで応援にかけつけてくれた。私は思わずテンションがあがって「ありがとう!」と叫んだ。鞍馬のエンドステーションまでふたりが伴走してくれる。「エイドはもうすぐだよ!」、この一言がどれほどうれしい言葉だっただろうか。仲間の笑顔にあい、京都の街に帰ってきて、非常に感極まった鞍馬のエイドであった。エイドを出発する私にたっくんはしばらく並走してくれた。「ちょうどゴール地点で10時間が切れるか切れないか」、そんなどうでもよいことを口走ってしまった私に対し、たっくんは「タイムはどうでもいいよ、無事にゴールすれば・・・」その一言ですべてがふっきれたような気がした。そうだ何を焦っているのだ、泣いても笑ってもあと13キロ笑ってゴールできるように自分らしく走るだけだ、よけないことを考えずに私はたっくんと固い握手をし、ゴールを目指した。

72キロ地点、ようやく上賀茂のエイドに到着。ここからゴールまで鴨川沿いをあと5キロ、この5キロが実は結構長い。肉体はもちろん精神的な疲れ、とくに山道の下りですり減らした神経と花背からの下りですり減らした身体の奥のコアの筋肉が消耗している。鴨川沿いを走る自転車の人々が次々に温かい声援を贈ってくれる。とあるマウンテンバイクの紳士が僕にこう声をかけてくれた。「橋を4つ数えて、4つだよ」そう」4つの橋を数えれば、そこは出町のゴールになるという意味。北山、北大路、鞍馬、今出川、この4つの橋のことなんて京都人である私なら小さいころから知っている。でも私は必死に4つ数えた。ひとつの橋の間が1キロもあり、はるか向こうに見えてしまう。フレッシュな状態であれば5分もすれば到着してしまう1キロ、その1キロが遠い、でも橋を4つ数えよう、そうすれば遠いも何もない、ただあと橋を4つ越えれば、この長い大冒険が終わってしまうということだけだ。私は少し悲しさを感じた、あれほど苦しかった峠のことも下り坂のこともすでに体内から消え去っていた。もうちょっとでこの大冒険が終わってしまうことのさみしさはどんな言葉で表現すればよいだろうか。北大路橋を越えて、川沿いの蛇口で顔を洗い、頭から水をかぶった。泣きべそかいてゴールするわけにはいかない。冒険のサングラスをかけ、汗も水も涙もぐちゃぐちゃの状態になった。鞍馬の橋を渡った。向こうに見えるのは今出川通り、その向こうにゴールがある。走った、ここぞとばかりはチカラを振り絞って走った。この鯖街道に挑戦することを決めたのはたしか2月のことだった。あれから4カ月が過ぎた。この日のために頑張ってきたこともあったし、7連休はすべてこの鯖街道のために費やした。

今度ウルトラマラソン走るのです。こんなことが会話に出てくると、人のリアクションは大きくふたつある。ひとつはへぇーと感心されるタイプ、もうひとつはなんでわざわざそんな苦しいことするの?と純粋無垢に質問するタイプ。前者の場合はそない感心されるほどのことでもありませんよと会話をする。ただ後者の方はどうだろう、正直このゴール手前まできたけど、その質問に対する答えはいまだ見当たらない。

ゴール手前、時計の針は16時9分を指している。ゼッケンナンバー7番が読み上げられた。「7」は七輪の会を運営する会長職の私にとって特別な思い入れのある数字だ。「山科からの参戦です」この大会にエントリーした時に抱負を一言書くのだが、4か月も前のことなので、なんて書いたのか忘れていたら、「無事にゴールする」と書かれています、そのとおり無事にゴールされましたね、とアナウンスされた。そうか自分は最初から無事にゴールするためにこの大会に参加したのだ、初心を思い出した。そしてウルトラには完走者ひとりひとりにゴールテープが用意される。早朝6時にはじまったヒトチの大冒険は16時9分ゴールテープを切ったと同時に終わりを告げた。


この2010年5月16日は自分にとって忘れられない一日となった。たった一日の経験だが、新しい価値観や新しい自分に出会い、また今までの自分をぶちこわすようなそんな一日だった。自分らしさとはなんだろうか。自分らしく生きることは大切であるが、その根っこになる自分らしさとはなんだろうか、自分らしさとはそもそも不変的なことがらでなく、変化するものであり、できれば進化するものであってほしい。新しいことに挑戦することで新しい自分を発見することができる。それは弱さや至らなさ含めての発見である。また新しい価値観や仲間に出会うこともできる。新しい価値観や仲間の中、また新しい自分を見つけることができ、それが自分磨きであり、自分探しだという気がしてならない。


そう、ウルトラマラソンは自分探しの冒険ではないだろうか。自然と調和し、5月の日差しに照らされ、山で森林の吐き出す酸素を吸い、雲に導かれ、先人達が歩んできたこの街道をひたすら走る。人の優しさや自然の尊さに触れ合い、その中で自分にできること、自分の存在、自分らしさとはなにかを考える。いや、考えるだけでなく、感じる。


五月晴れの中、私は10時間の大冒険で自然と溶け合うことができた。そしてエイドのみなさんやランナーのみなさんともそれこそ自然に溶け合うことができた。本当に素晴らしい貴重な体験をもたらしてくれた鯖街道に心から厚く感謝をしたいと思います。


まだまだこれからヒトチの大冒険は続いていきます。
3日間ほど身体をゆっくり休めて、また新しい冒険を探しにいかなきゃ。