手で一句。(2009年10月8日執筆)

ふとパン屋に入った。
1個でいい、1個だけパンをかばんに入れておこうと、ふとパン屋に入った。

くるみのパンを選んだ。
トングで挟んでトレイに乗せた。
すると店員の女の子のはきはきとした声が聞こえた。

「焼きあがりました。オニオンチーズのパンが焼きあがりました。」

そう発声しながら、焼きたてのパンを店内に運んできた。

「おひとついかがですか?焼き立てでございますよ。」

店内には私しかおらぬではないか。
なるほど私が買わねばこのパンの焼き立てを買う人間はいないかもしれない。
私はとっさにこのパンを買おうと決意した。

「お姉さん、その焼きたてのオニオンなんとかのパンをどうか私にもひとつくださいな」

「ありがとうございます!焼きたてのパンでございます!1個140円でございます!」

店員の女の子はとびっきりの笑顔でそう答えた。
そうかなるほど。焼きたてのパンを買ってもらうのがこの子のやりがいなのか。
そうかなるほど。だとしたらやっぱりパンが好きで焼きたてのパンが好きでこの店で働いているんだ。


お会計を済ませようとレジに向かうと、その女の子が走ってきて、レジで向かいあわせになった。
支払いを済ませ、釣り銭を受け取ろうと差し出した私の左手を、上と下から小さな手が包み込んだ。
あっけにとられ、ふと左手を開いてみると、手のひらに釣り銭が乗っていた。
一瞬の出来事にふと恥じらいを感じた。


店を出た後も左手には少しの温かさが残ったままだった。
私はその左手で焼きたてのパンをつかみ、ひと口ほおばった。
パンをかじったまま、いつもの公園をいつもの方向へ歩いていった。
嵐が過ぎ去り、空はいつの間にか青い空が広がっていた。


多謝人温手感
(人の手の温かさを感じさせてくれた手よ、本当にありがとう)

因製歌曲一首
(よって私は一首の歌を作り)

代手述意
(手の心情を代わりに述べてみようと思う)



焼きたての 偶然だよとは 知りながら 恥じらい忘れて じっと手を見る

(詠み人知らず)


(大意:焼きたてのパンに出会ったことも 釣り銭を受け取る時にやたらと手が触れあってしまったことも それはすべて偶然であることは承知しておるし むしろ偶然でなければならない いや偶然でもなく夢の出来事かもしれない でもこの左手に残された温かさは 言葉にできない恥じらいをもたらしてくれているではないか まあいい 恥じらいを忘れてみよう ここは公園ではないか 誰も見ていない おまえがじっと手を見つめている姿を 冷やかしたり 気持ち悪いなどとからかう人など誰もいない じっと手を見ればよいではないか)