毎日走り続けるということについて。

走ることについて語ることは簡単ではない。

あの村上春樹ですら。
レイモンド・カヴァーの短篇集のタイトルを原型として。
10年以上書き続けた原稿で語った。

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること


さて。
ひとりの一般市民ランナーとして。
私が毎日に走るようになったのには理由があって。

昨日ひとつの堪えきれない不条理な事実を目の当たりにしたので。
僭越ながら少しだけ私の理由を語りたい。


・目の前に大阪城公園があること。
・HJCや七輪という素晴らしい仲間がいること。
・昼休みの過ごし方について職場の理解があること。

美味しい空気を吸い。
午後から気持ち新たに。
いい仕事をするために。

そんな軽い動機でした。

確固たる理由が見つかったのは。
アースマラソン」という企画が始まったからです。
http://www.earth-marathon.com/

この企画は間寛平さんが毎日60キロ走って。
2年かけて地球を一周するというとんでもない構想ですが。

実はこの企画が始まってから。
私は欠かさずスタッフさんのブログを読んでいました。

寛平さんは60キロ、私はわずか6キロ。
たった10分の1です。
でも雨の日も雪の日も。
灼熱の太陽の下でも木枯らし吹く大寒波の中でも。
毎日走り続けるというのは勇気のいることです。

そんな中、私の心の支えは寛平師匠でした。
勝手な妄想とは知りながら。
私の心のなかには常に寛平師匠の笑顔がありました。


運動効果とかタイムアップアップとか。
そういうデジタルな考えに基づくと。
雨の日に走ったり、灼熱に日に走るなど。
理論的には馬鹿げた話かもしれません。


でも毎日走り続けるということに。
理論は必要ありません。
それが習慣であり、日課であり。
行き着く所、それが私自身であるからです。


自分の外ではなく、中にあることなのです。



寛平師匠がこのような事実を抱えたまま。
走り続けていたと知ったときは。
涙が止まりませんでした。
そしてまた。
それでもなお走り続けようとしていること。
その事実について冷静に受け止める前に。
もう涙で前が見えません。。。


さて私にできることはなんでしょうか?

もちろん変わらず走り続けることです。
誰のためでもなく、自分のためにです。
なぜなら、それは自分の中にあることだからです。

寛平師匠が病に打ち勝つことを信じて。
願いを込めて明日も走ります。