栗で一句。(2009年9月28日執筆)

ロ〜ル♪(ロ〜ル♪) ロ〜ル♪(ロ〜ル♪) 
マロンのお味のロ〜ル♪

木曽路の入り口にあたる古い宿場町。
美濃と信濃を分ける分水嶺にコール&レスポンスがやまびこのように鳴り響いた。


ボクは旧中山道を振り返り、一軒の菓子屋を訪ねた。

「ぎこちないお菓子でございますけども、お蔭様で皆様にかわいがっていただきます」

店の女将がそうやって挨拶をした。


私は腰をかけ、旅人たちが想ひ出を書き記す旅日記のある頁を開いた。


掌にのせて
ほろほろと味はひました。
まつたく山栗の味そのままが
秋の山で食べるそれと
少しもかはらない味で
口に含みを覚えます。


なるほど、名物を食する無筆の旅日記とはよくいったものだ。
私はこの散文を書き残した人の心情について、思いをめぐらしてみた。


花は誰の為に咲くのか。
人に潤いや癒しを与えるためか。
また昆虫たちに種を運んでもらうためか。

いや違う。
花は自らの意志で赤や黄色に咲くのだ。


団子は誰の為に甘いのか。
炬燵で三時のおやつに主婦が食べるためか。
豪華な懐石の最後を締めるためか。

いや違う。
団子は飛脚たちが次の峠へ向かうための塩分と糖分の栄養補給だ。


歌は誰の為に歌うのか。
人に元気や勇気を与えるためか。
人に何かを伝えるためか。

いや違う。
歌は自らの意志で喜怒哀楽の魂を歌うのだ。


私はすがすがしい気持ちで恵那山麓に向かった。
いたるところに栗の毯が笑みをほころびはじめていた。
秋の深まりを痛感せずにはいられなかった。


さぁ先を急ごうぞ。
京の都までもうすぐだ。



多謝秀麗山中栗
(秀麗な山の中の栗よ、本当にありがとう)

因製歌曲一首
(よって私は一首の歌を作り)

代栗述意
(栗の心情を代わりに述べてみようと思う)




栗きんとん 恵那山眺める 中津川  秋山の味に 我ほくそえむ

(詠み人知らず)

(大意:中津川の町はどこを歩いていても秀麗な恵那山が見えている この宿場町で生まれた栗きんとんは 旅人の疲れを癒し 旅の思ひ出を秋色に染めてくれる そうだ 栗きんとんというお菓子だ  だれかつけたか 栗きんとん 秋山のそのままの味がするとは旅日記で読んでいたが 本当に そのままの味ではないか おもわず ほくそえんでしまった まつたく山栗の味そのままではないか )